女性ボートレーサーの日高逸子さんが、5月24日(月)放送予定の【逆転人生】に出演!
日高逸子さんは、女子選手として2人目の通算2000勝を達成し、今年(2021年)還暦を迎えるが今だ現役で、女性ボートレーサーのレジェンドと呼ばれる方です。
今回は、日高逸子さんの経歴や年収、結婚生活について気になったので調べてみることにしました。
興味のある方はぜひ読んでみてください!
日高逸子さんの経歴やプロフィールは?
出典https://twitter.com/kanko3188/photo
本名:日高逸子(ひだか・いつこ)
生年月日:1961年10月7日
年齢:59歳(2021年5月現在)
出身:宮崎県串間市
職業:ボートレーサー
日高逸子さんは、宮崎県都城市生まれですが、家庭の事情により同じ宮崎県の串間市で育てられます。
高校を卒業後、信用金庫に就職しますが1年で退職されます。その後上京し、旅行会社や喫茶店で働きますが、そこで「競艇選手募集のテレビCM」を目にして受験し、本栖研修所での訓練を経て、1985年5月、23歳の時に芦屋競艇場でデビュー。
それから、約4年後の1989年3月、多摩川競艇場で行われてた第2回JAL女子王座決定戦競走で優勝します。
2002年10月、唐津競艇場で通算100勝を達成。
2005年3月、大村競艇場で行われたGI第18回JAL女子王座決定戦競走優勝。
2006年8月、桐生競艇場で行われたSG第52回モーターボート記念競走に、施行者場以外の各競艇場から、女子選手として初めて推薦され出場するという歴史的快挙を果たされます。
同年12月、住之江競艇場で行われたSG賞金王シリーズ戦に初出場。
2008年10月、下関競艇場で行われたジュエルセブンカップ(オール女子戦)第12レースで通算1500勝を達成。
2010年4月、競艇名人戦競走に資格(48歳以上)取得1年目で初出場。そして、ドリーム戦にも出走して優勝戦に進出。
同年10月、福岡チャンピオンカップで優勝戦に進出。
2012年に、2回行われた女子王座決定戦競走において、2回とも優勝戦に進出する。
また大村で開催された第1回賞金女王決定戦でも優勝戦に進出。
2013年4月、琵琶湖競艇場で開催された第14回名人戦競走において、3年ぶりの優勝戦進出を掴みとられます。
2014年12月、住之江競艇場で行われた第3回クイーンズクライマックスにおいて、優勝戦に出場し、1コースからコンマ01のスタートを決め優勝。
2015年7月、ボートレース浜名湖の一般タイトル戦・初日第8レースを勝利し、女子としては山川美由紀に次いで、2人目となる通算2000勝を達成されます。
日高逸子さんは、後輩選手から尊敬の意を込められて「妖怪」と呼ばれているようですが、
通算2000勝もされていらっしゃるので、そのように呼ばれていることに納得してしまいました。
日高逸子さんの年収は?
出典https://www.boatrace.jp/owpc/pc/race/photogallery?jcd=04&hd=20181226
ボートレーサーとして活躍されている、日高逸子さんの年収を調べてみました。
2014年に、4096万円の賞金を獲得されていました。
この賞金額は、全競艇選手の中では40位、女子競艇選手の中では1位でした。
ボートレーサーの平均年収は約1700万円だそうです。
日高逸子さんの年収4096万円って、平均を2倍以上も上回っているんですよね。
もう、凄すぎます!!
ちなみに、2020年の日高逸子さんの年収は、2164万円で女子競艇選手の中では32位でした。
32位で、2164万円って、活躍されているボートレーサーの年収に驚きです・・・。
日高逸子さんの結婚や家族
出典https://news.nicovideo.jp/watch/nw6397525
すでにご結婚されていて、夫の邦博さんとの間には2人のお子さんがいます。
日高逸子さんは、男子選手をぶっちぎる実力があることから、「グレートマザー」の愛称で知られていますが、その生い立ちは華々しい実績とは対照的だったそうです。
幼い頃に母と生き別れ貧しい生活の中で「居場所」がないまま成長しますが、
その後ボートレーサーとなった逸子さんに最高の味方が出現します。
その方こそ、夫の邦博さんです!
邦博さんは専業主夫として、逸子さんの波乱万丈の人生を支えてきたことで、ボートレーサーとして更なる飛躍を遂げてこられたのだと思います。
まとめ
今回は、日高逸子さんの年収や経歴、結婚生活について調べてみました。
日高逸子さんは、夫の邦博さんと二人三脚で通算2000勝を達成されたのだと思います。
今後も、女子ボートレーサーのレジェンドとして勝利数を積み上げてのではないでしょうか!これからの活躍も期待しています。
私の記事を最後まで読んで頂き誠にありがとうございました。