牛場潤一(BMI)の母や家族構成は?学生時代はどんな少年だった?【クローズアップ現代】

慶応義塾大学理工学部准教授の牛場潤一さんが、5月25日(火)の【クローズアップ現代】に出演!

牛場潤一さんは、ヒトの随意運動や反射に関する運動制御機構に関する研究に従事する傍ら、これまでの知見を応用した「ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)」の開発にも取り組んでおられる方です。

今回は、牛場潤一さんの母や家族構成、学生時代はどんな少年だったのかが気になったので調べてみることにしました。

興味のある方はぜひ読んでみてください!

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牛場潤一さんの母や家族構成は?

出典https://www.photo-ac.com/

牛場潤一さんの母親の名前は「朝吹由紀子(あさぶき ゆきこ)」さんといいまして、あの日本のフランス文学者であり随筆家の「朝吹登水子(あさぶき とみこ)」さんの娘さんです。

母親の朝吹由紀子さんは、「フランス語会話の講師」や「翻訳」などの仕事をやっていたそうです。

【翻訳した文書】

・白い糸で縫われた少女 クレール・ガロワ 新潮社 1971年

・顔の上の霧の味 アンヌ・エベール 講談社 1976年

・愛と同じくらい孤独 フランソワーズ・サガン 新潮社 1976年 のち文庫

・ミロとの対話 これが私の夢の色 ジョアン・ミロ,ジョルジュ・ライヤール
美術公論社 1978年4月

・人間ゴッホ 麦畑の挽歌 ヴィヴィアンヌ・フォレステール 美術公論社
1987年6月

・夏に抱かれて フランソワーズ・サガン 新潮社 1988年8月 のち文庫

・水彩画のような血 フランソワーズ・サガン 新潮社 1991年3月 のち文庫

・愛という名の孤独 フランソワーズ・サガン 新潮社 1994年6月 のち文庫

・ジャンヌ /ジャック・リヴェット原案 クリスティーヌ・ローラン、
パスカル・ボニツェール脚本 1995年4月 (角川文庫)

・愛をさがして フランソワーズ・サガン 新潮社 1997年6月

・ぼくはこの足でもう一度歩きたい マルク・メルジェ 新潮社 2002年7月

翻訳は、フランス語などの原文を読解できることはもちろんのこと、原文が伝えようとする情報を正しく反映したり、読み手に誤解や戸惑い与えるような曖昧な表現や意味不明な表現を避け、短く簡潔に表現する能力が必要となるはずです。

難しく大変な仕事だと思いますが、翻訳の実績がスゴいですよね!

次に、父親の名前は「牛場暁夫(うしば あきお)」さんといいます。

「日本のフランス文学者」であり、「慶應義塾大学の名誉教授」です。

1991年には、NHKテレビでフランス英会話の講師もされていたそうです。

最後に、おじいちゃんですが、驚くなかれ、慶應義塾大学医学部8代医学部長を歴任された
「牛場太蔵(うしば たいぞう)」さんです。

調べてみると、輝かしい経歴や実績をもつ家族であることが分かりました。

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牛場潤一さんのの経歴やプロフィールは?

出典https://www.st.keio.ac.jp/tprofile/bio/ushiba.html

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【プロフィール】

名前:牛場潤一(うしば・じゅんいち)生年月日:1978年7月8日

年齢:53歳(2021年5月現在)

出身:東京都

2001年 慶應義塾大学理工学部物理情報工学科卒業

2002年 慶應義塾大学大学院理工学研究科基礎理工学専攻修士課程修了
(修士(工学))

2003年 オルボー大学感覚運動統合センター客員研究員

2004年 慶應義塾大学大学院理工学研究科基礎理工学専攻後期博士課程修了
(博士(工学)

2004年 慶應義塾大学理工学部助手(生命情報学科)

2007年 慶應義塾大学理工学部専任講師(生命情報学科)

2012年 慶應義塾大学理工学部准教授(生命情報学科)

現在に至ります。

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牛場潤一さんの学生時代はどんな少年だった?

出典https://www.brain.bio.keio.ac.jp/mission/

牛場潤一さんが、研究の仕事にあこがれをもったきっかけは、書斎にいることの多い父親の後ろ姿を見て、「大学の先生っていいなぁ」と思ったのが最初だったそうです。

フランス文学の大学教授であった父と翻訳家の母のもとに生まれ、小さいことから文学に触れてきた家庭環境で育ったからこそ、研究の仕事にあこがれをもったのだと思います。

小学校の頃は、学校にコンピュータ教室あったことがきっかけで、パソコンにはまり、夏休みの自由研究はコンピュータープログラムを考えたり、パソコン漬けだったそうです。

中学校では、脳の研究で有名な「理化学研究所の御子柴先生」の話を聞いて、脳に対する興味が開眼します。

さらに、「人工知能の研究をしている大学院生」が、作ったクイズに答えるパソコンのプログラムを見て、衝撃を受けたそうです。

高校時代には、大学の教科書を読むまでになり、独学で人工知能を勉強していたが、本物の脳のしくみに強い興味がでてきて、理工学部に進学したそうです。

大学では、理工学部と医学系の勉強を同時にしたいと考え、夜間は医学部リハビリテーション医学教室の先生のもとで日々実験に明け暮れたそうです。

知能の構造に関心を持ち、コンピュータと脳を関連して勉強していったことで、さらに興味が湧き、知りたいことへの欲求が加速していったんでしょうね!

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まとめ

今回は、牛場潤一さんの母や家族構成、学生時代はどんな少年だったのかについて調べてみました。

牛場潤一さんは、手足の不自由な方の「脳と情報通信機器」をつなぐ技術「ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)」を医療や福祉の世界へ広げようと日々研究に取り組まれております。

BMIの技術を応用した新しい医療の実現はすぐそこまできているのではないでしょうか!

私の記事を最後まで読んで頂き誠にありがとうございました。

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